PRESIDENT BROWNプレジデント ブラウン

彼は断固たる新たな運動、ルーツ&リアリティ運動の唱道者であり、レゲエDJでもある。彼にとっては一曲一曲が彼の「激励(エンカレッジメント)の言葉」(彼の人気ある曲のタイトルでもある)を響き渡らせる方法なのだ。そのチャントのスタイルのために、トニー・レベルと関連づけられることが多いが、プレジデント・ブラウンは、このトニー・レベルと並んで、ジャマイカでも最も美しいメロディーを創るDJの一人だ。彼は、カントリーミュージックの香りがかすかに漂う、コンシャスで果敢なレゲエが好きな人々に向いている。彼はクラレンドンの緑の山地に生まれ(彼自身のことを山地人と見なしている)、バナナ農場主の息子として2人の兄弟、2人の姉妹と共に育った。この家族はカリブ海諸島の言葉で言えばかなり小さな家族だった。フィッツ・アルバート・コテレル(友人たちは単にフィッツと呼んでいた)は、父親が早世した後に退学し、母親と共にポート・マリアに移り住んだ。その後オラカベッサへ移り、最後はオチョリオスに落ち着いた。オチョリオスはジャマイカ北部海岸の巨大な観光・行楽スポットで、ホテルが立ち並ぶ様子から「リトル・マイアミ」とからかい半分に呼ばれることもある。音楽界に入るのは単に時間の問題だった。彼にもっとも早く、もっとも人格形成に関わる影響を与えたのは、プロデューサーであり、サウンド・システムの経営もしていたジャック・ルビーだった。ジャック・ルビーは当時オチョリオスに住んでいて、オチョリオスの音楽通として知られた人物だった。 1984年、彼は父親を失ったフィッツを庇護し、プレジデント・ブラウンという名前を与え、ダンスホール史上もっとも有名なサウンド・サーキット、ジャック・ルビーのハイ・パワーに常住のMCにしたのだ。ルビーはプレジデント・ブラウンの心に、まさに父親的な影響を与えた。「当時、ぼくは不安を感じなかった。几帳面に髪を洗って梳かして、野球帽をかぶっていた。ぼんやりとしたラスタ志向はあるけれど、決断に至ったのは90年代初期のことだった。ルビーは既にこの世を去っていたけれど(1989年死去)、コンシャスな歌詞を作るようにと、いつも励ましてくれたのは彼だった」。 90年代初期、実際オチョリオスのミュージック・シーンは活気があった。アメリカから戻ったコートニー・コールは、あるレコード店に、それからあるクラブに、そして最後にはプレジデント・ブラウンが2、3のシングルをリリースしたことのあるルーフ・インターナショナル・レーベルに彼の貯蓄を投資した。結局、プロデューサー、バリー・オヘアのXレイテッド・レーベルがプレジデント・ブラウンにホームベースを与え、ヨーロッパでの画期的な成功へと導いたのだ。ちょうどモーゼがイスラエルの民を導いて紅海をわたったように、プロデューサーで純血のミュージシャンのバリー・オヘアが、古典的なリディムのレパートリーをもった新しい世代のルーツ・アーティストたちを導くことに専念していた。Xレイテッドは、ジャマイカに巨大なルーツ・リバイバルがサイクロンのように襲いかかったのと同時に暴走し始め、ダンスホールの銃とスラックネスの歌詞(暴力とあからさまな性を扱った歌詞)に置き換わり、ラスタ通の新たなレゲエのための道を切り開いたのだ。このためにプレジデント・ブラウンの人気が高まったことは言うまでもない。 1985年、プレジデント・ブラウンは画期的な成功を遂げた。彼の音楽は市場にあふれ、継続的にフリーランスで制作活動を行った。バリー・オヘアがプロデュースした2枚のアルバムが1年以内にリリースされた。「ビッグ・バッド・タレンティッド(Big Bad & Talented)」と「プレジデント・セレクションズ(Prezident Selections)」だ。これらのアルバムでプレジデント・ブラウンはヨーロッパに足場を築いた。バリー・オヘアがオランダ、マーストリヒトを本拠地とするレゲエ・レーベルのランと販売・配給契約を取り付けていたのだ。3枚目のアルバム「ジェネレーション・ネクスト(Generation Next)」はコンシャスネス・カクテルだ。ただしオーソドックスな意味ではハードルーツのショーケースに分類することはできない。オールド・スクール・ソウルのスピリチュアル(霊的)な雰囲気が、その枠組みにうまくはまって、一つの支配的な位置を占めている。ブラウンの最初のシングルで、ウィリアム・デヴォーンの1974年のディープ・ソウルの古典「ビー・サンクフル・フォー・ワット・ユー・ゴット(Be thankful For What You Got)」をジャマイカ風にアレンジした曲のようだ。それからステイプル・シンガーズの市民権聖歌といえる「アイル・テイク・ユー・ゼア(I'll Take You There)」のメロディーをハイジャックした表題曲。これらとは別に、ジェントルマンやパトリスとの共演もある。二人とも波長の合うアーティストだ、とブラウンは平然と言う。プレジデント・ブラウンは彼の哲学について説明している。「ジャマイカで、ぼくは自分の理想を追う男として知られている。一徹って感じなんだ! そしてこれが現在までアーティストとしてぼくを生かしてきたものなんだ」。
















